726 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/29 12:36
関東地方の地方鉄道に乗って通勤していた人から聞いた話です。

その人はN市という始発駅から通勤しているのですが、営業区間が短い私鉄で、乗車時間は20分ほどもないのです。
珍しく車内で座れたため、そのままウトウト寝てしまいました。

目が覚めると、乗っている車両は同じで、あたりは見知らぬ田園風景の中でした。

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その人はボンヤリしながら、
『知らないうちに支線ができて、間違って乗ってしまったのかなぁ・・・』
と、余り深く考えないで乗り続けました。
隣に座っていた老夫婦の話を何気なく聞いていると、
「・・・そういえば、お前にもずいぶん苦労かけたよなあ」
「いえいえ、そんな気にしないで」と、なにやら会話をしています。
目の前に立ってる女子高生たちも、
「そういえば、もう少しいろいろな所いきたかったよねー」
「なんか残念よね」と話しています。

しばらく走っていくと、
旧字体の漢字が7~8文字くらいあるような難しい名前(本人いわく覚えていないそうです)の駅に停まりました。
そこで3~4人降ります。
田舎の無人駅で、車掌が切符を受け取ると、電車は再び発車。
降りた客は、田圃の一本道をずっと遠くまで歩いていきます。
『朝に仕事もしないで、どこに行くのだろう・・・?』
不思議に思いながら、電車から眺めていました。

同じようにしばらく走っていくと、不思議な駅名の駅が現れ、そこで数人づつ降りていきます。

やがて日暮れになり、すっかり夕方になってきました。
(その人の記憶では、電車は明かりも付けずに、夕日の中を走っていたそうです)
そのころには隣の老夫婦もいなくなり、目の前の女子高生もいなくなり、満員電車も2~3人しかいなくなりました。
まるで地方のローカル線のように、暮れゆく田園の景色の中を走っていきます。


727 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/29 12:37
(夢うつつとはいえ)その人もさすがに『会社にいかなくちゃ』と、どこかで思ったのでしょう。
車掌に聞きに行きました。
「あのーM駅には、いつ着くの?」
車掌はこう答えました。
「お客さん、切符みせてください」
(彼は定期券だったのですが)なぜか切符を探してしまいました。
しかし、いくら切符を探してもみつかりません。
すると車掌が激怒しました。
「お客さん!!切符無しに乗り込まれちゃこまるんだよ!
 この電車は貸切りなんだから!早く降りてくれよ!!降りろ!」
彼は車掌に襟首を捕まれ、車内をひきずられます。
車掌は走行中のドアをガラガラっと開けると、その人を車外に放り出しました。
彼は列車から放り出されると、丁度そこは川をまたぐ鉄橋で、真っ暗の中を落下して行きました。

「・・・おや?ここは」
それが第一声だったそうです。
気が付いたとき、その人はある市立病院の病棟にいて、鼻や気管に何本も管を差し込まれた状態で、
時刻はもう夜の9時頃だったそうです。
その人が乗った列車は、駅の停車場に激突して、多数の死傷者を出した列車だったのです。
彼は朝から意識不明で、危篤状態からようやっと生還したのです。

いまから10年ほど前、関東近郊のある鉄道で実際にあった事故です。
この時の生還者の貴重な話でした。


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これかな?

1992年9月14日 成田線ダンプカー事故(死者1名・負傷者67名)

概要

 1992(平成4)年9月14日(月)、千葉県香取郡下総町のJR東日本成田線久住・滑川間の大菅踏切で、千葉発佐原行列車(113系電車4両編成)とダンプカーが衝突。電車の運転手1名が死亡。

原因

 最大積載量の4倍もの山砂を積んだダンプカーが、踏切に向かう緩い下り坂でブレーキが効かず、踏切待ちの車の脇から徐々に踏切内へ進入したもの。

影響

 JR東日本では事故列車と同型の全車両に前面強化の工事を実施、以後に製作した新型車両には運転席後方に壊れやすい部分をつくり運転手が運転台に 閉じこめられないような構造とした。ダンプカーの運転手は刑事裁判で禁固2年の実刑を受け、その運転手と荷主と砕石会社および作業員2名は民事裁判で1億 円の賠償命令を受けた。なお、事故現場の踏切は後の道路立体化により廃止された。



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これか

関東鉄道常総線列車衝突事故

1992年(平成4年)6月2日 (列車脱線事故)

関 東鉄道常総線取手駅構内において、入線してきた同駅終着(新守谷発)上り列車(キハ300形気動車2両とキハ800形気動車2両の4両編成、乗客約900 名)が停止せず暴走、車止めを飛び出し、そのまま駅ビルの2階の壁を突き破り、先頭車両が駅ビル店舗に突入して大破し、乗客1名が死亡した。列車の駅進入 前に運転士が窓から飛び降りて脱出し(朝日新聞1992年6月3日朝刊)、250名以上が重軽傷を負った。運転士は、ブレーキが効かなくなったことを車内 放送で伝えて、乗客に後方に移動するように指示したが、朝のラッシュ時の混雑した車内での移動は困難を極め、車内はパニックとなり、網棚に上りだした乗客 もいたという。
原因はブレーキ故障であるとされている。非常ブレーキも一駅手前の西取手駅で作動させた後に、発車しようとしたところ、ブレーキが 緩まなくなり、運転士がブレーキ締め切りコックを閉めてブレーキを緩め、元に戻さずに発車してしまい、常用・非常の両系統のブレーキが作動しなかった。
後 になって判明したが、西取手駅でブレーキ不緩解となり、運転士は異常時の取扱として保安ブレーキ締切コックを閉とした。その際、車掌が扱った車掌弁を復位 せず、保安ブレーキスイッチがオンとなっていたので、ブレーキ系統の圧縮空気が車掌弁と保安ブレーキ締切コックの側穴から外部に放出され、ブレーキシリン ダーに空気が供給されず、ブレーキ装置が動作しない状態だった。なお、事故を起こしたキハ300形は、国鉄の中古車両(キハ35系)を購入して使用してい たものであるが、さすがに経年劣化は覆いがたく、メンテナンスをよく行っていたが、この事故車両に関してはブレーキ不緩解が時々あったという。しかし当時 の同線は急激な乗客増加という環境もあり、修理しながらラッシュ時間帯を中心によく使われていた。さらに関東鉄道常総線は勾配が極めて少ない線区(最大が 本事故の発生箇所にあたる西取手 - 取手間で3‰だった)ということから、事故に対する問題点が見出せなかった可能性が指摘できる。事故以降の同社は、キハ2100形をはじめとした新製車両 を投入し、キハ300形の運用は2011年に終了した。