つきまとう女

786 :顛末 ◆lWKWoo9iYU :2009/06/18(木) 01:19:48 ID:j0e1jDQW0

「事の顛末だと?」
男は俺を嘲るように微笑んだ。
「心配するな。あのオカマ社長の許可は取ってあるよ」
男は俺の胸に拳を当てた。
すると男の拳は何の手応えも無く、俺の体をすり抜けた。
「ほらな。俺からお前に何かすることは出来ないんだよ。
 あのオカマにお前は完全にガードされているし、俺もあのオカマに能力の根源を握られている。
 今の俺は、オカマに金玉抜かれた腑抜けなんだよ」
俺は後ずさりをした。
「俺に何を聞かせたい?」
男はどこからか椅子を取り出し、腰掛けた。
「さっきも言ったろ?事の顛末さ。
 どうして俺と妹がお前を狙ったのか。何故、殺そうとしたのか。
 お前には聞く権利があるんだよ」
確証は無かったが、男に害意はないように思えた。
確かに俺も、この騒動の動機と理由が知りたい。
俺の心にある霧の正体が知りたかった。
「分かった。なら聞かせてくれ。事の顛末を」
「そうこなくちゃな。わざわざ、来た甲斐が無い」
そう言うと男は、タバコを地面に捨て足で揉み消した。



788 :顛末 ◆lWKWoo9iYU :2009/06/18(木) 01:20:30 ID:j0e1jDQW0
「初めにお前に出会ったのは、お前がバイクで小樽に来たときだ。
 確かツーリングだっけ?お前はそれをやりに来たんだ。
 俺はたまたま小樽に用が有って来ていた。
 その時、妹の奈々子がお前に目をつけたんだ。
 何故なら、お前が奈々子にとって羨ましい存在だったからだ。
 まるで光に群がる虫のように、奈々子はお前に惹き寄せられた」
俺は困惑した。
「何故俺なんだ?俺の何が羨ましかったんだ?」
「お前の中に、温かい家族の繋がりが見えたのさ。
 それが奈々子には、心底羨ましかった。
 俺たちの家族はな、言っちゃ何だが、クソの肥溜めそのものだった。
 特に奈々子は生前、そうとうあのクソ親父に責められた。
 口に出すのもおぞましいぜ。実の父親が娘を性の対象にするなんてよ。
 しかも親父は極端なサドでよ。ひでぇもんだった。
 だが、俺も人のことは言えねぇ。苦しむ妹を、見て見ないふりしたんだからな。
 母親はとっくの昔に死んで居なかった。
 だから妹にとっちゃ、俺は唯一の頼りだったんだ。それを俺は見捨てた。
 面倒臭かったんだよ、正直言って。俺にはどうでもいいことだった。
 奈々子にとっては絶望的だったろうよ。アイツは一人で警察に行き、助けを求めた」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
俺は男の話を遮った。
「気持ち悪くなったか?そうだろうな。クソの肥溜めの話だ。無理も無い」
男はポケットからタバコを取り出し、口に咥えた。
さっきまで人を嘲るように笑っていた男の顔は、深海のような冷たい表情だった。
話の内容よりも俺は、この男の表情に恐怖を感じていた。


789 :顛末 ◆lWKWoo9iYU :2009/06/18(木) 01:21:10 ID:j0e1jDQW0
「いいか?続けるぜ?」
俺は無言で頷いた。なるべく男の顔を見ないように気を付けた。
「奈々子は警察に助けを求めたが、全て無視された。
 親父はクソだが、精神科医としてはエリートだった。
 警察にも協力していたし、署の幹部とも仲が良かった。
 奈々子は対応した警察官に、人格ごと全てを否定されて追い返されたんだよ。
 更に絶望した奈々子は、遂に精神を病んで、精神病院に入院した。
 しかも、親父の病院にな。
 そこでも奈々子は酷い扱いを受けた。
 警察に訴えた奈々子を、親父は許さなかった。
 奈々子の担当の看護師に言いつけて、奈々子を毎日のように暴行させた。
 信じられるか?それをやらしたのが実の父親なんだぜ?
 そして奈々子は自殺した。どこからか持って来たロープで首を吊ってな。
 そこで俺は初めて泣いたよ」
黙って俺は男の話を聞いていた。
男の家族と俺の家族。まるで正反対の家族だった。
「奈々子は自殺した後、この世を彷徨い、俺の所に来た。
 奈々子には才能はあったが、俺のような能力はなかった。
 だから、俺に復讐の話を持ちかけたんだ。俺に協力しろってな。
 勿論、それを俺は断ることも出来た。
 だが俺は、奈々子が死んでから初めて気付いた感情に逆らえなかった。
 俺は奈々子を愛していた。自分勝手な話だがな」


790 :顛末 ◆lWKWoo9iYU :2009/06/18(木) 01:21:58 ID:j0e1jDQW0
「俺は奈々子に協力し、親父と警察官、それと看護師を殺した。
 俺はそれで奈々子が満足すると思っていた。
 だがそれは違った。
 俺は霊というものに対する知識を、中途半端に持っていたに過ぎない。
 どんなに復讐を遂げても、奈々子はもう死んでいる。
 俺の目の前に居る悪霊と化した奈々子は、奈々子であって奈々子じゃない。
 ただの情念の塊だ。情念の塊が満足して消えることなんて絶対に無い。
 俺は落胆したよ。
 親父も含めて3人も殺したのに、ただ奈々子の形をした悪霊が増大しただけだった。
 そんな時にお前が現れた。
 ただの復讐の情念の塊だったはずの奈々子が、お前に魅かれた。
 俺にとっては驚きだったよ。もしかしたら、と変な希望まで持っちまった。
 だが、奈々子は死んでいる。普通の生き人とは一緒に居られない」
「それで俺を殺そうと思ったのか?ふざけるな」
「ああ、今思えば愚かもいい所だ。だが、俺にとっては希望だった。
 お前と居れば、奈々子は奈々子として戻れるんじゃないか、とな」
男の話に俺は納得がいかなかった。
「ただ殺すだけなら、お前には何時でも俺を殺すことは出来たはずだ。
 何故すぐにやらなかった?何故あんな回りくどいことをする?」
俺は男に問いただした。男の表情に変化はない。
「単純にすぐに殺しても、霊はこの世に留まらない。すぐに消えてしまう。
 苦しめて、追い詰めて、不条理を与えることで、霊はこの世に強い情念を残し、長く留まる。
 お前には未来永劫、奈々子と一緒に居て欲しかった」
男の言葉に、俺は全身が震えた。


791 :顛末 ◆lWKWoo9iYU :2009/06/18(木) 01:22:43 ID:j0e1jDQW0
「北海道から帰ったお前は交通事故を起こし、重症を負った。
 あれも俺の仕業だ。
 お前の会社の人事部長の脳に侵入して、解雇通知を書かせたのも俺だ。
 左腕の骨折だけ治りが遅かっただろ?あれも俺だ。
 その他諸々。お前には色々、仕掛けたな」
俺は震える拳を押さえた。
「殴っても良いんだぜ?そこで我慢するのは、元サラリーマンの悲しい性か?」
俺は男の左頬を全力で殴った。男は椅子から転げ落ち、地面に平伏した。
「まあ、一発くらいは殴らせないとな…」
男はそう言うと椅子を元の位置に戻し、再び腰掛けた。
俺は怒りで全身が熱くなっていた。

「落ち着けってのは無理な話かもしれないが、話は最後まで聞け。
 俺はお前に感謝しているんだ」
「感謝だと!?」
「最後にお前が奈々子と一緒に居たときの話だ。
 あの時、俺はオカマの部下に押さえつけられ、床に平伏していた。
 事の終わりを見届けろとオカマに言われ、俺はお前たちを見ていた。
 あの時…、俺は眼前の光景に我が眼を疑った。俺は奇跡を見ていた。
 ただの復讐の情念の塊だった奈々子は、そこには居なかった。
 お前も見ただろ?あの奈々子が本当の奈々子だ。生前の頃の奈々子だったんだ。
 アイツはただのか弱い女だった。あれが本当の奈々子の姿だったんだ。
 俺は泣いた。奇跡を前に、俺は子供のように泣く事しか出来なかった。
 最初は光に群がる虫のように、奈々子はお前に魅かれただけだった。
 それが何時しか、本当にお前のことを好きになっちまっていたんだ」


792 :顛末 ◆lWKWoo9iYU :2009/06/18(木) 01:23:34 ID:j0e1jDQW0
俺は震える拳を降ろし、黙り込んだ。
「お前も薄々気付いていたんじゃないか?」
そう言う男の顔からは、深海のような冷たさが消えていた。
最後に見たあの女の顔を、俺は思い出していた。
気が付くと、俺の眼からは涙が流れていた。
「泣いてくれるのか?」
男はそう言うと静かに俯いた。
「お前は優しい男だな。あんな事をした奈々子のために泣いてくれるなんてよ。
 お前は本当にしぶとい奴だった。俺はお前の勇気に驚かされ続けたよ。
 そして、家族の愛情に恵まれた、優しい男だ。
 今なら奈々子の気持ちが俺にも判る。俺たちは愛情に飢えていた。本当にお前が羨ましい。
 奈々子は生前、誰かを好きになることなんて一度もなかった。
 こんな形じゃなく、奈々子が生きている間にお前と出会えていたら…。
 お前のように俺にも勇気があれば、こんなことにはならなかった」

俺は泣いた。あの女を思い、泣いていた。
あの女は敵だ。あの女が俺に何をしたのかは忘れない。
それでも、俺の眼から流れる涙は止まらなかった。

男は椅子から立ち上がると、天を仰いだ。
「俺も奈々子も、散々人を苦しめた。天国には行けねぇ。
 奈々子も地獄に落ちたよ。アイツは生まれ変わっても、また辛い人生を送る。
 でもよ…、もし、お前がアイツに再び出会ったなら…。その時は…」
男は踵を返し、背を向ける。
「…自分勝手にも程があるか…」
男は静かにうなだれる。
その背中には、悲しみが色濃く映し出されていた。

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